西双版納とタイ。長く絶えていた祖先を同じくする民族の交流が、メコンを軸によみがえりつつある。どこかでそんな記事を読みました。
タイ人という人たちは、元々現在のタイ国の領土のあたりに住んでいたのでしょうか。そうではありません。元々タイ族は、現在の中国雲南省・西双版納(シーサンパンナー)に住んでいました。
シーサンとは、シップソン(12)の意味、パンナーとは、千枚田の領地の意味です。タイ族は、元々、西双版納に住んでいたのが、(一説によると)13世紀の蒙古来襲などで南に移住し、また一部のタイ族はそのまま西双版納に残ったと言われています。
現在でも、雲南省のタイ族とタイ北部の人たちの言語は極めて近いと言われています。今は滅んだ、ランナータイ王国独自の文字も、現在タイでは見かけませんが、西双版納ではまだ使われています。また、食料面でも、竹筒に入れたもち米のご飯「カオラム」や、蟹から作った調味料「ナンプー」などの共通点があり、寺院も類似しているとのことです。そして、今後、チェンライは、中国、ラオス、ミャンマーを結ぶ国際都市になるということです。
私の妻がチェンライ出身のタイ人であることは、何度か書いてきました。だけど妻の場合、あんまり外国人に見られないし、およそタイ人と思われることがありません。タイ関係のお店でも、日本人のくせにタイ語がうまいねと言われてみたり、バンコクでもタイ語で話し掛けてびっくりされたりしています。
でも、こういう話を聞くと、妻の場合は、むしろ原種のタイ族に近いんだぞと言いたくなりました。
私が思うに、タイ族が、現在のタイの領土に移住してきたころ、そこが無人の原野であったはずはなく、当然、先住民がいたはずです。だからそこにいたはずの先住民とタイ族が混血し、現在のタイ人が生まれたのではないかと推測するのですが。
タイ国の現在の王朝の前に、メンライ王がチェンライ(現地の人の発音では、チェンハーイ)にランナータイ王国を建国し、後にチェンマイに遷都しました。メンライ王は今でも銅像となってチェンライの町を見下ろしていますが、メンライ王が建国した当時、チェンライからエメルド・ブッダが出土し、ワット・プラケオを建造しました。妻の旧姓のMANEERATは、このワットに関係した姓だということですから、もしかして建国当時のランナータイ族を代表しているのかもしれません。
ところで、日本人には、三国志のファンが多いですね。
今から約1800年前の中国で、漢が滅びるころ、魏・呉・蜀の三国が鼎立し、戦乱の中にありました。また、漢がなければ、現在の日本の文化はない。これは誰もが認めるところでしょう。そして、現在の雲南あたりは、三国志の時代に蜀の諸葛亮(孔明)が、少数民族を平定した範囲内です。だから当然、タイ族も蜀の版図の中に入っていたわけです。
一方の日本は、漢代に「漢委(倭)奴国王印」をもらったりしていますから、漢に臣下の礼を取り、朝貢していたものと思われます。また、三国志の時代には、魏に朝貢していたらしく、「魏志倭人伝」として出てくる民族です。 要するに、タイ人も日本人も、同じ中国の勢力下にあった少数民族同士なわけですから、遠縁の親戚といっても過言でないように思います。
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